カラダのこと・ココロのこと

境界線を身につける「バウンダリーの心理学」 コミュニケーション心理学#04

最終回のテーマはバウンダリーについて。バウンダリーとは「境界線」ということ。

  • バウンダリー:自分に対して行動をとってくる他人に対して、合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するために個人が作成する、ガイドライン、ルール、制約
  • ラポール:信頼関係をつくって、心が安全だと思えるような関係をつくってからカウンセリングをはじめていく

心理学におけるバウンダリーは、ラポールと同じくらい大事で重みがある概念。

相手とのラポールが強まれば強まるほど、境界線を引いていくことが大事になるのだ。

自分の人生は、自分が思っている以上に誰かの影響を受けている、そんなことに気づかされた時間だった。

バウンダリー・オーバーを意識する

バウンダリーは無意識のうちにオーバーしたりオーバーされてしまったりしている。

境界線が曖昧になることで、どちらかに負担がかかってしまったり、結果として依存関係が生まれてしまう。

関係性というものを改めて考えたときに、日常生活においてそれを強めたり弱めたりする要因は何なのか?

  • 会う頻度
  • 交わす言葉
  • 態度(言葉以外のボディランゲージ)

コミュニケーションが複雑な時代にあっては、情報の波に飲まれないために、自分ルールとしてバウンダリーを理解することはきわめて重要ということだ。

ワーク:今週の人間関係ランキングをつくってみる

  1. 実際に誰と会ったか確認してみると同時に、未来の自分はどんな人と付き合いたいかを考える
  2. この1週間でリアルに会って言葉を交わした人を、会っている時間の長さ順で1から10位まで上げてみる
  3. この1週間でSNS上で会話を交わした人を、頻度順で1から10位まで上げてみる
  4. 自分が影響を受けた方が多かったのか、与えた方が多かったのかさらに掘り下げてみる
  • 影響を受けた方が多かった
    →受けてばっかりだと、バウンダリー・オーバーを受けている可能性がある
  • 影響を与えた方が多かった
    →与えるばかりだと、バウンダリー・オーバーを起こしている可能性がある

どんな人間関係でも、適度な距離感を保っていくということが大切。

ちょうどコロナのときだったから、実際に人に会うことってほとんどなかったけれど、普段意識することがない人間関係を見直すことって結構大切かもしれないと思った。

 

感情は伝染するもので、慢性的に干渉を受けていると相手の感情を自分の感情だと思い込んでしまう。

自分の感情は必ずしも自分の中から生じているわけではない、ということだ。

1週間の人間関係において、自分はどれだけ相手から影響を受けたり与えたりしているか?

1週間というのは168時間、8時間寝るとして112時間、生活の時間を除くと他人に振り分ける時間は多くても100時間。

リアルで出会う時間とは別に、SNS、相手のことを考えている時間なども含めて、相手に占拠されている時間だとしたら・・・

自分から望んでその時間を割いているのか、無意識なのか?イヤイヤなのか・・・

あらかじめ、自分が持っている時間の中で、他人に割く時間を考えておくこと。

実際に行動に移すというよりは、そういうシビアな見方で人間関係を見ておく方が、線を引きやすくなる、ということだった。

自分の人生を自分に取り戻すために

時間を奪われている人は、決定権を奪われているとも言える。

それは、実際には自分で決定してこなかった習慣のかたまりであり、決定を誰かに任せてきた結果かもしれない。

もう一度、主導的な、能動的な人間関係をつくりたければ、細かいところから決定権を取り戻していく必要がある。

「主人がこういうから従ったけれど、結局うまくいかなかったし、本当は最初から嫌だった」

「上司の人間性が嫌で本当は会社を辞めたいけれど、生活のために嫌々従っている」

実情は相手に依存していながら、相手の決定したことに不満を感じて生きているのは、本当の幸せではないと思う。

 

依存関係は、ある意味人生を生き抜く一つの知恵でもあるが、「誰かのせい」が多い1日は誰かの人生を生きていると思った方が良い。

ほんとうに自分の人生に自分の主導権を取り戻すためには、今日から自分が決定することを実践すること。(=決定習慣を持つ)

 

そもそも、人間関係はめんどくさいもので、日常を生きていくことはめんどくさいもの。

しかし、それに対していちいち自分の決定を加えていくということが、自分の人生をつくっていくことでもある。

多くの場合は、めんどくさいことを先送りにした結果、決定習慣を奪われ、大きな声の人に従っていくことになる。

日々小さな決定をすること、めんどくさいことを引き受けていくことが自分の人生を自分のものにしていく、ということを心得ておくことが大切。

ワーク:今日からはじめる決定習慣をつくる

  • 今日何を食べるかを決めて食べる
  • 心地よいカラダ、快適な空間を保つ
  • 決めた時間のなかで働く
  • 思うこと感じていることをブログに書く
  • 将来の計画書をアップデートする(妄想と現実の境界線をなくす)

これはそのとき私が書いた5つのルール。

その決定習慣が継続できたとしたら、どのように自分は変化していくだろう?

その決定習慣を持った自分にはどのような人間関係が生まれるだろう?

 

私自身は、コロナでいい感じに自分アップデートできた気がしていて。

GWにいろんなものを捨てて、快適になったことで、やっと次に自分はどうしたいかを考えられるようになった。

これからは、なりたい自分を現実化していく作業をやっていく気がしている。

周りの人に、「時間と空間を超越してる感じがするよね」と言われて、去年の目標は「時間と空間を超える」だったことを思い出した。

ある意味、その目標はコロナに後押しされている。

人に合わせず、食べたいときに食べれるから体調も良くって。

今まで、お腹減ってなかったのに食べてたって気づかされた。

 

ついつい、私たちは何か問題に対してすぐに答えを求めがちだけれど、日常生活に正しい答えなんて最初からないと思った方が良い。

それは、自分自身で日々ひとつひとつつくっていくしかない。

とはいえ、どこかで他の人から聞いた材料が役に立ったり、それをヒントに新しい自分の答えを出すことはできる。

自分が決定することによって、家族や人間関係がどう変わっていくのかを想像すること。

いい方向に変わっていくような決定習慣を考えながら実行していくこと。

傾聴、質問、行動変容は基本的なテクニックだけれど、最終的には、自分の人生に主体性を持つということがメインメッセージだったのかもしれないな。

責任のバウンダリーと感情のバウンダリー

バウンダリーは目に見えるものではないために、すぐ曖昧になってしまう。

そして、曖昧になったところには力関係が入り込んでくる。

人間関係のパワーバランスは上下関係、権力、経済力、地位、性格の押しの強さ弱さに左右される。

もしそれが可視化できたら、見えない磁力の綱引きが相当行われているはず。

責任のバウンダリー

例えば夫婦間なら、家事分担なく「いつも奥さんが家のことをやっている」といった上下関係が容易に入り込んでくる。

両者合意の上であれば全然OKだけれど、本来相手のやることを嫌々やっているのは、やっている方がバウンダリー・オーバー。

人と一緒に生活するためには、それが誰であっても、常にルールを更新していく必要がある。

脱いだ靴下を片付けてくれない→旦那さんの無自覚ゆえのバウンダリー・オーバー

これは、子供時代の旦那さんと、母親とのバウンダリーの曖昧さが夫婦関係に持ち込まれてしまっている状態。

お互いに相手を尊重しているなら、それは個々の責任であることを認識させないといけない。

やるべきことを果たさない相手の代わりに、こちらが責任の範囲外のことをしてしまうと、本人は自分がやるべきことだということに気づかず、それを当然だと思ってしまう脳の習慣が続いてしまう。

習慣として続く「誰かがやってくれるだろう」という人任せは意外なほどに強固なもの、ということだった。

ワーク:バウンダリー・オーバーの確認

善意ながらも、自分がついやってしまっているバウンダリー・オーバーを挙げてみよう

  • 人の仕事のタスク管理(②)
  • 全体調和をとろうとする(③)

見えてしまうがゆえに、つい、危なそうなものは拾ってしまったりするけれど、わたしが拾うから、周りに落とす人が増えてしまうのかもしれないと思った。

私は、自分のペースで進めようとしすぎなのかもしれないなー

バウンダリーオーバーが起きる理由はこの3つのうちどれか。

  1. 愛ゆえ
  2. 不安だから
  3. 承認欲求から

1つの現象の背景にあることに目を向けていくこと。

バウンダリー・オーバーやは相手の可能性を奪ってしまうことになるので要注意だ。

感情のバウンダリー

小学校2年生を超えても、親が何でもかんでもやっているのは、親の子どもに対する感情のバウンダリー・オーバーが起こっている状態。

その背景には、親側の不安があることが多く、無意識のうちに自分の子ども時代を投影して見てしまっている。

親子の上下関係は幼少期のしつけとしては必要だが、それに甘んじて子どもの「脳の中の判断ルーム」を親が占拠してしまってはいけない。

学校へ行きたくないと言う子どもを連れて、カウンセリングに来る親子のケースでは、親が先に喋ってしまうことが多いという。

それは、子どもの答えが、自分の考えと不一致になることへの警戒ゆえの行動だ。

ただ、親の答えを否定できる子どもはそもそもカウンセリングには来ない。

その行動を否定するのではなく、親子の会話のパターンを読み取り、親の回答に対する子どもの微反応を見ることで、解決策が見えてくる。

小学生にもなれば、既にクラスメートなど自分自身がつくる感情世界の中に生きている。

情報が少ない分、子どもの感情世界は深い(感度が高い)ので、それを尊重してあげる余裕が親には必要だし、親が不安だと見落としてしまう。

親が希望する友人の構図を横から吹き込まれると、その構図と日々の自分の感情模様に葛藤が生じてしまう。

それを、言葉でうまく表せない子ならなおさら混乱し、学校での振る舞いがわからなくなってしまうのだ。

大人は感情を感じる暇がないから、その感情世界は広いけれど浅い。

このとき、起こっているのは母親による子どもの感情世界へのバウンダリー・オーバー。

とはいえ、ここで問題が起こっているのは子どもなので、親が問題を認識しづらく(不安の自覚がない)、解決が複雑になる。

自分自身の感情を否定せざる負えないところで育った子どもは、大人になったとしても自分でバウンダリーの引き方がわからなくなってしまうし、場合によってはアレルギー疾患になってしまいがち。

教育業界にいると、子どもに依存している親って、想像以上に多いと気づかされる。

バウンダリーは目に見えないエネルギーのバランス

家庭や職場は人が集まるエネルギーの場でもあるので、どうしてもエネルギーが弱い人がバウンダリーを引き受けてしまうことがある。

ただ、そこで発生する問題や身体に生じる病気というのは、個体だけで考えられるものではなく、個人だけに答えがあることは少ない。

それは、家族や職場のエネルギーのアンバランスを引き受ける行為だったりするのだ。

バウンダリーが弱いことでエネルギーの偏りを引き受けてしまう、それは自分の責任でもあるけれど、それだけでもない。

バウンダリー・オーバーしてくる人の特徴

  1. 一見、その人のために見える
  2. その善意に身を隠して、自分の欲求を満たそうとしている

「あなたのためだから」とよくいう人は、実は自分のために言っているというのがセオリー。

「あなたのことを思って」取る行動が大抵うまくいかないのは、「善意だからいいでしょ」という建前心理の裏に隠れた「自分がいいと思うことは相手にとっても良い」と思い込んでしまう心理が原因。

これは、気づかないうちに紛れ込んでくるので注意しないといけない。

善意の渦中にいる人にはそれが見えない、ということがバウンダリー・オーバーの原因なのだ。

あぁ、これけっこう思い当たるなーと。

ワーク:自分の周りに起きているバウンダリー・オーバー

  • 自分の人間関係で、自分へのバウンダリー・オーバーをしてくる人を挙げてみる

お互いの人間関係を見直し、見えない綱引きを自覚して、工夫をしながらお互いにとってより良い距離感をつくり直していくこと。

どっちが正しい間違いではなく、創意工夫を持って、面白がりながら楽しくなるような関係に持っていく。

いろんな状況にツッコミを入れられるくらいの余裕を持って状況を作り変えていくと、後から振り返ったら楽しかったなとなるはず、ということだった。

確かに、すごい苦しい状況も10年経ったら笑い話にできるって、思ったりするもんね。

今でも、これ絶対将来ネタにしよう、とか思ったりするけれど、本当は将来を待たずとも、その場その場で対処していいものにつくり変えられたら一番いいのかもしれない。

境界線の引き直し(リ・バウンダリー)

バウンダリーは見えないからこそやっかいで、自分と相手の自覚が全然違うことがある。

こちらが思っているレベルと、相手が思っているレベルが立体構造で見たときに交わっていないので、お互い次元の違う線引きをし合おうとして、衝突が起こってしまうのだ。

  • 夫婦間:経済的なこと、食事の内容、子どもの教育方針など
  • 親子間:子どもが成長していくに連れバウンダリーの範囲が変わっていくのに、親は一生子どもという位置に置きたがる

なかでも親子は年を経るとパワーバランスが変わっていく。

バウンダリーは一度引いたら終わりではなく、個々人の関係の変化に合わせたアップデートが必要。

お互いがお互いのペースで成長しているという尊重がないと、一方が自分の理解できる範疇に相手を押し込めようとしてしまう。

なぜなら、そのほうが安心だから、だ。

 

リ・バウンダリーには3つの方式がある。

  1. 強制的引き直し(パワー・ストラグル)
    ぶつかり合う、病気になる=体力と経済力が必要
  2. 物理的に距離をとる(ビー・アウェイ)
    自立して住むところを変える=経済力が必要
  3. 言葉・しぐさなどを変える(サブリミナル・バウンダリー)
    日常に組み込んでいく=もっとも穏やかな働きかけ

この中で言うと、3つ目のサブリミナル・バウンダリーが一番取り入れやすい。

手足の動きは相手との関係性をつくるもので、本人に自覚がなくても、カラダのクセというのはある。

こちらにキャッチする感度があれば、あえてその仕草をとって、相手の潜在意識にメッセージを入れていくこともできる。

表情の小さな違い、普段からささやかな幸せを浮かべておくことで、それ以外の感情のときに相手を踏み込ませない。

  • オリジナル・フレーズを使う:「この言葉といえばこの人」という自己演出
  • 会話ではなるべく接続詞を使わない:日常会話を短く終わらせ、会話における対立を予防する
  • 「3」の法則:自分の主張を明確に伝えるため。3つまでなら相手も聞く

 

ワーク:16人のワーク

  • 自分の人生において、16人しか居ないとしたら、誰を選ぶか?
  • 自分の世界を彩るのに必要なキャラクターを選日、個人名で記入していく

これをやると16番目、17番目ですごく迷う、その差に本質が現れると言う。

人間が脳の中で情報管理できる相手は160人くらいが限界と言われている。(ランバー数)

では、自分が自分らしくいられる16人とは誰なのか?

それを現在地点として置いて、10年前、10年後と時間軸を動かしてみる。

 

人間関係はめんどくさいし、生命現象そのものがめんどくさくできている。

けれど、そこにちゃんと水やりをやってきた人が花を咲かせることができる。

問題を持ち越ししたり、先送りした結果、バウンダリーに歪みが生じ、自分に跳ね返ってくる。

少しずつバウンダリーを解消する毎日を過ごしていくと、人間関係は良好にならざるを得ないのだ。

 

「誰かのせい」にしていると言うことは誰かの人生を生きていること。

まずは勇気を持って、少しずつ自分の人生を取り戻していくこと。

バウンダリーには正解がないもの。

だからこそ、今の状況にふさわしい線引きの力を身につけ、何回も更新していくことが大切。

そのめんどくささを引き受けることで、自分の人生に主導権が戻ってくるのだ。

 

ワーク:自分メンテナンスをしよう

  • 1週間に1回もしくは1ヶ月に1回、まったく何も予定を入れない日をつくる

自分メンテナンス、かつ自分のブランドづくりの時間を持つということが大切。

  • 「誰とでも仲良く」という幻想を打ち砕く:友だち100人いなくたっていいじゃないか
  • 好き嫌いをはっきりさせよう:その人と付き合っていることはときめくことなのか?

必要ない人間関係を削除していく、自分でバウンダリーに×を引く。

意図的に付き合いを減らすのではなく、嫌いだと思っていることを自覚して付き合う、意識を明確にして付き合い方を考えると、自然と距離は離れていくもの。

誰かを嫌いだと思った自分を責める必要はない。

好き嫌いは自分の感覚なので、正直に生きればいい。

人の好き嫌いは心臓の心拍数に現れるから、ちゃんと自分のインジケーター装置を使ったらいいということだった。

胸に手を当てて聞いてみる、って本当なのかもしれない。

マイ・バウンダリー・ルール7か条

最後に、自分に7つの宣言をしましょう、ということだった。

⑥と⑦の「   」は自分で言葉を入れるカタチになっている。

  1. 私は、自分が付き合う大切な人に敬意を持って接する。反対に私と付き合う人は、私に敬意を持って接する、私はそれにふさわしい振る舞いをする。
  2. 私は、時間の使い方について自分を優先する。他の人に時間を奪われることはしない。職場や他人との時間は、自分できちんと納得した時間である。
  3. 私は、空間の使い方について、ゆとりを大切にする。生活空間においては、なるべくモノを少なくし、床置きしない。動きを阻むものは捨てる。
  4. 通勤・通学・移動空間については、満員で自分をぎゅうぎゅうにしないよう時間を早めるなどの工夫をする。
  5. ふだんから表情と姿勢を意識して過ごす。口元はほのかににっこり口角を上げ、姿勢は背筋を静かに伸ばし、堂々と歩くことを心がける。
  6. 私は、「自分の人生を他人任せで生きている(社会の歯車の一つになっている)」人とは付き合わない
  7. 私と付き合う人の共通点は「自ら人生の意味を見つけ、周りを照らす人」である

空間と時間には余裕があったほうがよい。自分をリラックスさせることから1日をはじめるが大切。

床置きほど人生を邪魔するものはないという。足元に置いているものが多いほど、自分の人生に自分でブレーキをかけているのだ。

表情や姿勢ははじめは意識を持つだけで良い、そういう意識を持って凛とすることから、いつの間にか身についているもの。

⑥⑦は相手に求めるものではなく、自分が実行に移すものなので、自分のポリシーになる。
⑥は自分はそうではないということ、⑦のように生きていきたいという自分への約束。

そのように生きていれば、それに共鳴する人間関係ができていき、人間関係で悩むことはなくなる。

コロナはいつか収束するけれど、人間関係は一生続いていく。

人間関係はめんどくさいものと最初に知っておくこと。

しかし、学んだことを一つ一つ身につけて、それを面白おかしく楽しみに変えていくことに、幸せが見つかるはず、という締めくくりだった。

 

3時間の講義を聞いていて、やっぱり自分らしく生きていくためには、自分にまずフォーカスしないといけないと思った。

頑張って周りに合わせようとしてたけど、自分をきちんと発信することで、自分に合う人に出会っていけばいいのかもしれない。

というか、きちんと自分のエネルギー場を整えていけば、出逢う人が変わってくる気がする。

コロナの間に自分純度をあげて、そして、そこから世界を広げていけば良い。

コミュニケーション心理学って、カウンセリングで使える手法みたいな入り口だったけれど、最終的には、自分を知り、自分らしい人生を生きることが出口だったような気もする。

ブログにしたことで、ポイントが明確になったので、もう一度大切なことを自分の日常に落とし込んでみようと思いました。