わたしのこと

意外と願いは叶ってるかもしれない

すごくすごく久しぶりにブログを書いてる。

ずっと書こう書こう(書かなきゃ)と思っていたのになかなか手がつけられなくて、やっとドキュメントを開いたところ。

でも、今度真っ白なドキュメントを見たら、また何を描いていいのかわからなくてとりあえず思うことを綴ってみる。

普段過ごしているときは「あ、これ書こう」とかよく思うんだけどな。

 

とりあえず、いまこの2020年の上半期は、コロナコロナで大騒ぎになっている。

でも不思議とわたしはめちゃくちゃ穏やかな日々で、むしろ、コロナで結構願い叶ってるんじゃないか?!くらいの感じなのである。

例えば、、

  • 毎日会社に行かなくていい(仕事はしてます笑)
  • 朝、ゆっくり美味しいコーヒーが飲める
  • 朝起きて、ヨガできてる(5分の太陽礼拝だけだけどw)
  • がっつり化粧しなくていい(ポイントメイクのみしてる)
  • 満員電車乗らなくていい
  • 楽な服で1日過ごせる(とはいえたまにはオシャレしたい気はする)
  • ご飯を自分でつくって食べられる
  • 食べたいときに食べられる(食べたくないときは食べなくていい)
  • おうちがキレイなまま保ててる
  • 好きな音楽を聴きながら仕事ができる
  • 日中の用事がサクッとすむ
  • 仕事が終わってから、30分後には夕飯が食べられる
  • ゆっくりお風呂に入ってもまだ時間がある

 

他にも、中長期で見ても、環境が変わったことによる好転がたくさん。

  • 外に出かけられないので、家にいる罪悪感もなく、家でのんびりできる
  • 思いっきり掃除ができたので、おうちがとにかく快適
  • 「掃除しなきゃ」という圧力から解放された
  • 週末の掃除時間が1時間ですむので時間が豊富
  • そもそもこの部署に異動したときからリモートワークなので仕事に違和感がない
  • (旅行や飲み会に行かないので)お金がたまる
  • 家にいるので買い物してもいつでも受け取れる
  • 英語を使う仕事になったので、英語を勉強しなきゃいけない環境になった
  • 会社に行かなくていいので、どこにいても仕事ができることに気づいた
  • せっかくならマーケティングの本とか読んで勉強しようかなって思いはじめた
  • やっとブログ書ける・・・!!

でもコロナで大きく人も別れるよなーという気づきもあって。

大変、不安、未来が見えてないって言ってる人、リモートだったら仕事してなくてもバレなくない?ていう人。

本当に大切だと思ったら人はそのときにできることをやるし、すべては本来自分基軸なはずで、仕事だって誰かが見てるからやってるわけではない。

他人や環境軸で生きてきた人は、今自分のあり方が大きく問われていると思う。

未来が決まってないってことは、つまり何してもいいってことじゃない??

いつもより変革のハードルが下がるんじゃないか、っていう気さえしてる。

(でもこれは賛否両論あると思うので、あくまでわたしが見えている世界のできごと)

 

3月に大好きな事業がコロナで打撃を受けたときは本当に心が折れたけれど、そして4月はほぼ意識なかったのだけど、今振り返ると、もっと深いところでわたしはこういう変革を望んでいたのだのだとわかる。

 

これからは、会社は変わっていないのに、その中でちょっと変わった部署にいるために、会社のルールに対して影響も受けず、自由に仕事ができそう。

英語をもうちょっと学びたかったなーという思いも、まさか、叶っていて。

(そしてその部署で英語が必要になったのは、今年の2月だというから驚き)

しかもリモートワークで、月1くらいの出社でいいとしたら、東京にいる必要もないし、日本にいる必要がない。

最近しきりに湧いてくる思いは、海外でも生活できるんじゃないかってこと。

だって9時半〜17時半っていう人間のゴールデン生活タイムを会社に奪われてるって、そもそもヤバくないかな。

おかしいと思うなら、そういう生活から抜け出せばいいんだけど、でもそれも今すぐ会社をやめなくてもできるとしたら随分楽だなーと思う。

タイムゾーンをある意味超える選択肢が生まれたら、もはや時間や場所に縛られない生き方をしたい、という願いは叶っているのだ。

 

これをきっかけに、会社に雇われるんじゃなくて、個人が会社のあり方を見て、そこに所属するか選んでいける時代になったらいいのにと思う。

というか、そう思えない会社は淘汰されていくだろうな。

 

あと、自粛期間で色々収穫もあった。

まず1つは思いっきり掃除ができたこと。

とにかく生活空間が快適すぎる。

もともと家にいるのが好きなのだけど、さらに心地よいので、まったく閉じ込められている感じはない。

家にもう閉じこもっていられない!って人は、家が嫌いなのかな?それともとにかく外に出たいのかな?

太陽の光が差し込んで、風が通り抜ける窓があって、好きなお花を飾って、アロマキャンドルをたいて、空気洗浄機を置いて、風も水も火もある意味ずっと回転しているからすごーく心地よい。

道路が近くてたまに車の音とかするのはちょっとなんとかしたいんだけど。

 

掃除したことで、たくさんの気づきもあった。

最初は何を捨てたらいいかわからなかったのだけれど、それでも時間をかけて、ときには時間(間隔)を空けて、なんどもなんども取り組んでいくと、「あれ?もうこれいらないかも」がわかってくる。

1回大規模な掃除が終わった後は、ずーっとキレイなままだし、だんだん捨てるべきモノが然るべきタイミングで目につくので、あ、これはもう終わりなんだな、って気づく。

 

本当はわたしたちはわかっているのに見過ごしている。

わたしたちよりモノの方が自分への愛情や、自身の賞味期限に敏感かもしれない。

「もういんじゃないの?」と問いかけられていることにわたしたちが気づかないと。

 

1回お祭りの掃除が終わると、あとはモノが増えることはない、という意味がやっとわかった。

お祭り掃除の後は、掃除をしなくていい、ということではない。

モノとの付き合い方が適切になり、理想の生活が見えているから、さよならがずっとうまく出来るようになるんだと思う。

こんまり先生の本、10年前くらいに買ってたのだけど、その意味がやっとわかった気がする。

 

今回4月の週末とGWを使って、家にあるすべてのモノに触れたと思う。

服も45リットルの袋3つくらいと、ダンボール1箱分をブランディアに売ったし、本も50冊くらいは古本屋に売ったと思う。(それでも全部で5,000円くらいじゃないかな)

一人暮らしの部屋でこんなにかかるくらいなのだから、もっと大きな家に住んでいる人は相当大変かも、、、と思ったりした。

 

でもモノに触れていると、そのときの自分を振り返ることも何度かあって。

わたしは今の自分が好きではあるものの、過去の自分はきつい性格だったときもあって、なかなか目を向けられなかった。

でもたくさんの手紙とか色紙とか見ていて、そんな風に思っていたのは今の自分だけだったなーって。

ちゃんとそのときそのときでわたしは頑張っていたし、認めてくれていた人がいたんだよなって。

あぁわたし頑張ってたよな、ってちゃんとそのときの自分を抱きしめてあげられた気がした。

本とかも、あぁこのときすごく浄化したかったんだな、とか、癒されたかったんだな、とか、発行年月日を見てたら思うことがたくさんあった。

 

写真とかもね。その瞬間その瞬間で、すっごくいい顔してる。

わたしは今のわたしだけでできているわけじゃなくて、ちゃんとたくさんの想い出も残ってる。

忘れたままじゃなくてよかった。

 

あと、改めて、わたし本読むの好きなんだなーと思った。

(捨てるのもったいなくて売る前にもっかい読んだんだけど、活字読むの好きだった笑)

そして、やっぱり歌うのが好き。毎日に音楽があるのが幸せ。

最近は通勤と化粧の代わりに、朝ヨガして、コーヒーを入れながら、好きな音楽を聞いてて、あーもはやこの扉の外はどこだっけってなるくらいの生活になっている。

(最近ハワイに行きたすぎるので、平井大を聞いている)

 

ちなみに好転反応ももちろんあって。

ウォークインクローゼットの中を一気に掃除してるとき、2回くらい突然トイレに行きたくなって、それが出たらなんだかカラダもココロもスッキリ(汚い話ですみません)

そして、ひと通り終わったところでものすごい眠気が、、、体が重くて起きていられないのだ。

まだ細々した仕分けは残っているけれど、多分溜まっていたエネルギーを全部出して新しいエネルギーに入れ替えたくらいの頃。

この頃、なんか火が気になって、キャンドルをひたすら検索していた笑

燃やしたい?火の力で浄化したいのかなー

火と水の力をめいっぱい使おうとしてるみたいだった。(水は拭き掃除です)

 

掃除している中で、引っ越しのとき見過ごしたものたちもたくさんあって、それを見ていたら、カセットテープとかMDとかビデオテープなるモノが出てきて、それを思うと、時代はここ10年でものすごく進化したのだなーと。

少し前までは、モノに溜めていく時代で、しかも容量も随分少ない。

なんなら画質とかも相当ひどかった笑

でも、みんな自分のものとして保存できる!っていうことに価値をすごく感じた時代だったのだよね。

今はクラウドとかサブスクモデルとか、どこからでもいつでもアクセスできて、しかも自分でそのストックをしなくていいカタチが一般的になっているのを見ると、本当に時代は変わったなーと思うのだ。

今回ついに、PCもプリンタも捨てたので、すごいスッキリ!

PCなんて大学入るときに買ったやつなので、WiFiが繋げなくてびっくりした。

有線の時代はつい最近まであったのに、去年買ったMacはもはや線をつなぐ場所がほぼない。

随分便利になったと思うのとともに、時代は随分軽くなってきている、ということに気づく。

 

個人的には、去年やりたいことを思いっきりやって、行きたかった場所にも行っていたから、旅については気持ちがけっこう満足しているっていうのと、その中で消化しきれなかったことと向き合わなきゃっていう気持ちもあった。

ちょっと落ち着きたい、自分のことを掘り下げたいっていう気持ちもどこかにあったのだと思う。

 

そして、去年わたしは北欧に行ったことで、快適な生活というのにとても憧れを持っていた。

北欧は寒いから家にいる時間が必然的に多いし、極夜とか日がほとんど昇らない期間もあるしね。

だからお部屋の中を可愛くするデザインを取り入れたり、暖炉の暖かさとか、コーヒーを入れてお菓子を手に語らう習慣とか、普通の生活を彩ることに長けている。

そういう生活の楽しみ方を知っていたから、自分次第で生活を楽しくすることができるって気づけていたのかも。

大切な人と幸せな時間を共有するって、最高の幸せじゃないだろうか。

 

そう思うとコロナは今しかなかったんだよなーと。

オンラインである程度人が繋がれていて、仕事も余暇も生活も無理なく対応できる。

そして、地球としては一刻も早く改革を求めていたのかもしれない、とか。

環境汚染の改善とか見てると、これ以上待てない、という状況だったんじゃないかとさえと思うのだ。

個人の思惑は別として、大いなる意志が求めたのだな、と。

もちろん、それでわたしもひとつの夢を失ったし、そういう人もたくさんいるだろうから、今じゃなくても、って思う気持ちもある。

でもきっと、今回できなかったことで、本当に心が望んでいることだったら、きっともっといいカタチで実現できる日が来るはず。

だとしたら、わたしたちはこの機会をどう生かしていけるだろうか。

この機会に何をアップデートしていけるんだろうか。

 

2020年12月にはまた新しい時代の幕開けがくる、といろんなところで言われているので、わたしも今年1年はアップデートの年。自分と向き合って、これからの未来を描く1年にしようと思う。

 

あー早くオシャレして出かけたいなー(ここまで書いといて矛盾。笑)