つるフリの最後に、すごいものに出会ってしまった…
3回ノックの法則(※1)で、導かれるように参加した上映会。
(申し込んだのははじまる1時間くらい前!)
その名も“美味しいごはん”。
神様の降りる場所という意味の”ゆにわ”というお食事処で、奇跡のおむすびをつくっているちこさんという方のお話。
「食べること」って「生きること」なんだな、って改めて思わされる素敵な時間だった。
(※1)3回ノックの法則とは?
林修先生がテレビで言っていたのだけれど、誰かに何かを伝えたいときに、
1回ノックはもしかしたら部屋(人)違いかもしれない。
2回目はあれ?って思いながら、確認のつもりでノックする。
でも、3回同じ部屋(人)をノックするって、どうしても伝えたいことがあるってこと。
だから3回同じメッセージが来たら、それはあなたがやるべきことだって思った方がいい。
(わたしはこのイベントをいなフリで紹介されて、別の人に誘われて、カフェに置かれたチラシに書いてあったひすいこたろうさんの名前に最後ロックオンされました笑)
ごはんはひかりである
「身体が喜ぶ」
「エネルギーをもらう」
「じわーっと残る」
ちこさんのおにぎりを食べた人は、みんな口々にそう言うのだ。
日本人は、もともと何かと何かを融合させるのが得意な性格で、古くから様々な文化を取り入れてきたし、八百万の神といって、ものにも神様が宿ると信じている。
だから、「お米ひとつひとつにも命が宿っていて、心をこめて炊くことでひかりになるんです」とちこさんは言う。
食事は、ダイレクトにエネルギーを取り入れられる方法だから(というか、普通に生きていたら、口からしか人間はエネルギーを取り込めない)、そのエネルギーが変わると、行動が変わり、ひいては人生まで変わっていくんだとか。
ひかりに包まれているごはんは、つくる人がひかりに包まれている。
いのちのおむすびは、「つくる人」「おむすび」「食べる人」が、ひとつになる。
だから、奇跡のおむすびを食べると、一体感に包まれて、暖かくて、愛に包まれる感じがするらしい。
「場を整える」ということ
もうひとつちこさんが大切にしているのが「場を整える」ということ。
キッチンが汚れていたら、そこでつくられるエネルギーも汚れてしまう。
人間も「どこに身を置くか」で「人としての在り方」が変わるのと同じだよね。
ちこさんのお店は、まるで神社みたい。
食器やお鍋を洗うときも優しく撫でるように洗うんだそう。
人間の身体も、触れられていない場所が疲れてくるように、空間も定期的に触れてあげると元気になる。
仏教に「日常禅」と言う言葉があるように、料理というのは、火の神様のもとでの修行。
座禅や写経だけが修行なのではなく、日常のひとつひとつの行いに心を込めることこそが修行なんだとか。
片づけの魔法のこんまりさんも、同じようなことを言っていたりするんだよなー。
きっかけは、塾で食べた塩むすび
そもそも、ちこさんがおにぎりをつくるようになったきっかけは、お兄さんが通っていた塾だったそう。
そこは、人生のどん底にいた時に、いつも包んでくれるようなあたたかい場所で、いつも塾に行くと、お重にはいった塩むすびがあって、塾生みんなで食べていたそう。
塾長は、目の前の子どもたちを見て、勉強以前に「手の温もりを感じさせる経験をさせてあげたい」と思って、塩むすびをつくってくれていたんだそう。
「わたしにも、このおむすび、つくれるようになりますか?」
「ええ、なりますよ。」
そんな会話から、ちこさんは「人生でこのおむすびをつくっていこう」と決めたんだそう。
そして、おむすびを食べて感動した塾生たちが、大人になって、また集まって、「ゆにわ」を立ち上げた。
「問答無用の一杯のご飯が人生を変えることがある」
「自分がひかりをもらったからには、別の誰かに還していきたい」
「形は違えど、ひかりを形にして伝えている」
そんな思いで、食事処だけでなく、たくさんの事業を起こしているそうだ。
はじまりは単純な気持ちからだったけれど、いつの間にか、人生を賭けてやろうと思うように。年月を経て、それは志に変わっていったんだそう。
想いは育つんだね。
いのちを育むということ
ちこさんのおにぎりになる、お米をつくってくれている農家さんのお話。
「いのちをどうやって育てるかって考えたら、結果として、農薬とか肥料とかいらないんですよね」
なんだかこれって教育にも当てはまるなー
伊勢神宮に、「斎庭の稲穂の御進捗(ゆにわのいなほのごしんちょく)」という絵があるんだそう。
それは、邇邇藝命(ににぎのみこと、天照大神の孫)が高天原から地上に降り立つとき、天照大神から稲穂をいただくシーンが描かれているのだけど、それは、「その稲穂を使ってこの世の中を豊かにしてください」というメッセージなんだって。
“命の根”が、“稲”になった、という考え方もあるらしい。
そして、普通、同じ土地で同じ食物をつくりつづけると、畑の養分を奪い、微生物のバランスを崩すのだけど、稲は無限循環できる珍しい植物なんだそう。
普通、植物は獲られることを嫌うのに、稲は収穫されることを悟っているー。
お米って、その場所で生きていく人たちの生活を支えてくれる、尊い存在なのだ。
食べ方は、生き方になる
過去に一度、ゆにわの社員食堂が水浸しになったとき、営業度外視で2つのお店を閉めて、社員のための食堂にしたんだそう。
まずは、「自分が満たされていなければ、誰かを幸せにはできない」のだ。
食べるときには、つくってくれる人の思い、天地自然の恵みに意識を向けること。
そうすると、本当の人の心がわかるようになる。
そして、「みんなを豊かにできる生き方」になると、そこに接する命が変わってくる。
神様に愛されるような生き方になるんだね。
大きな声では言わないけれど、フードビジネスの最前線にいる人間が、家族を連れてゆにわに来ている、それがもう答えなんじゃないか。
ちこさんはどんな人にでも、恥ずかしがらず教えを請う、だから周りも助けたくなる。
どこまでもまっすぐに「食べることは生きること」を表現する姿は本当に清々しい。
人が集まる=コミュニティができる、というけれど、ちこさんはほっといても人が集まる。
「集める」んじゃなくて、「集まる」から楽しい空気になる。
そして、お米さえ、ちこさんのところに来て、ひかりになってより高いところにいきたいと願う。
お米は、食べられて、いのちを全うする。
そう思ったら、きちんと美味しくいただきたいなーと思った。
ムスビの神様
新嘗祭とは、稲の収穫を祝い、翌年の豊穣を祈願するとともに、その年にできたお米をはじめていただく日。
ちこさんは、「お米がひかりになる瞬間に出会う日」と言っていた。
おむすびにすると、人の手が加わって、料理にひかりが宿る。
日本にはむすびという名前を持つ神様がたくさんいる。
生命を生み出すのもむすび、
相反するものをひとつにするのもむすび。
水と米と塩、バラバラなものをひとつにするのもむすび。
料理をムスビの儀式として行うんだとか。
その年獲れたお米でつくったおにぎりで、涙する人もいるくらい。
それくらい、この年に1度の日に食べるおにぎりは、パワーのあるおにぎりらしい。
幸せを「見立てる」
ちこさんが言うには、料理をする前に、見立てることが大切。
食材にひかりがあるとイメージするんだって。
これは、日本人がずっと大切にしてきたことで、例えば、新年のおせちは「福を思い、福を見立てて」つくられている。
幸せを思い、幸せを見立てて場所をつくれば、新しいゆにわがつくられる、ということ。
これは、料理だけではなくって、どんなことにも当てはまる気がするなー。
ちこさんは、今日もまたひとつ幸せな食卓が増えることを思ってキッチンに立つ。
ごはんは食べればなくなってしまうし、何も残らないように思う。
でも、今日のご飯を美味しく食べることが、大切な人のいのちをつくっていると思えば、こんなに幸せなことはない。
最初と最後が同じごはんを炊くシーンで、これも、ひとつの循環だなーと感じた。
あぁ、食べることは、いのちだなって。
じんわり優しい想いがこみ上げてきて、これまでのたくさんに感謝の気持ちが溢れるとともに、つるフリでもお世話になったヒロさん(@hiroko_teraoka )がつくってくれたおにぎりを食べていたら、突然ことばが降って来て、このブログの名前が決まりました。
むすびの魔法。
この場所が、読んでくれたあなたと、わたしのむすびの場所になりますように。