それでもやっぱり旅が好き

「箱の中から出よう、自然と生きよう」隈研吾さん


「箱の中から出よう、自然と生きよう」

2020年の4月ごろ、何の番組だったか忘れてしまったのだけれど、たまたま目にしてすごく印象的で、その場で思わずメモをとったことがあった。

20世紀の建築は、空調をして、箱の中に人を閉じ込める建築だった。
今回、コロナはそれを教えてくれた。

世界的な建築家、隈研吾さんのことばだ。

他にもこんなことを話されていた。

「箱の中から出よう、自然と生きよう」

コロナからのメッセージは「箱からの解放」ではないでしょうか。
20世期は人を箱に閉じ込め働かせた時代だったけれど、人間はもう箱の中から出て生活できます。
今こそ、本当の自由を取り戻しましょう。

小さくても緑とセットされたシティデザインを。
毎日見る風景は、心のコンディションに影響を与えています。
もし自然と一体になって生きるなら、必ず自然のルールに耳を傾けてくださいね。
人間はそれを無視しすぎています。

これまでは、箱の中を快適にすることが、暮らしやすいということだと思っていました。
けれど、これからは場所に縛られず、外に出ていく自由な建築が必要になるのだなと思います。

耳にしたことばと一緒に、そのとき私が感じたこともメモしてあった。

「新型コロナがきっかけで、これから私たちの働き方や自然との向き合い方とかいろいろなことが変わっていくんだろうな」

本当にその通りだなー。

このときはまだ緊急事態宣言がはじまったばかりで、こんなにも自粛生活が続くなんて思っていなくて。

でもなんとなく感じていたことは間違っていなかったように思う。

 

建築には元々全然興味はなかったのだけれど、直島に行ったことで安藤忠雄さんを知って、意識しはじめたらとても情緒ある世界で、その奥行きに心奪われるようになった。

安藤さんってコンクリートのイメージしかなかったけれど、自然の美しさを魅せるための対比として、コンクリートを使っていると聞いて、見方が全然変わったのだ。

 

ちなみに隈さんと言えば、太宰府天満宮にあるスタバは知ってる人も多いのではないだろうか。

◆Starbucks太宰府天満宮表参道店
「自然素材による伝統と現代の融合」というコンセプトをもとに設計されました。店舗の入口から店内にかけて、伝統的な木組み構造を用いた特徴あるデザインになっています。木のぬくもりとコーヒーの香りに包まれた贅沢な時間をお楽しみください。(公式HPより)

隈研吾さんのAnother Skyは高知県「ゆすはら」

先週アナザースカイで、隈研吾さんが高知のゆすはらに行かれていて、知っているホテルだったので思わず見入ってしまった!

旅行会社に居たときに取り扱っていたのだけれど、「雲の上のホテル」という名前が素敵で何だか目についたのを覚えている。

その人の人生を知ってから改めて作品を見ると、より味わいが深まる気がする。
こうやって色々な知識が、人生を豊かにしてくれるんだろうな。

ここ数年の隈研吾さんの代表的な建築物はこれら。本当に有名なものばかり!

  • GINZA KABUKIZA
  • 高輪ゲートウェイ駅
  • 国立競技場

今回番組でメインで取り上げられていたのは国立競技場だったけれど、あの規模で木材を使ったのは世界でも珍しい事例らしい。

外苑で実際に風のシミュレーションをして、1年間に「どの季節はどの風向きか」のデータから、夏の暑い時期の風向きが気持ちよく感じられるよう計算してあるそうだ。

三分一博志さんもベネッセアートサイト直島で同じようなことを語られていて。

直島の家々は、まるでリレーのバトンを繋ぐように風をリレーしている

建築家はただものを建てているだけではないのか…!

と失礼ながらそのとき初めて知って衝撃を受けた。

隈さんは、コロナをきっかけに、みんなが風通しや換気の大切さに気づいたから、この感覚は加速するかもしれないね、と話されていた。

そうなったら私も嬉しい。

 

今回隈さんが訪れた「梼原(ゆすはら)」は、愛媛との県境にある、人口3300人のまち。

四国山地の一番上なので雲の上の町とも呼ばれている。

そんな都会から離れた場所が、実は「隈」建築の聖地とされ、海外からもツアー客が訪れるほどだという。

 

バブル経済の80年代に事業をはじめたこともあり、自分はまだ30代なのに仕事を頼んでくれる人がいるラッキーな時代だった。

それが91年に一気にバブルがはじけて、東京の仕事がすべてキャンセルになった。

そのとき、友人に、古い木造の芝居小屋が壊されそうだから応援に来て欲しいと言われ、梼原に来ることになったらしい。

職人と出逢い、自然と出逢い、生き方が変わった

もし、仕事が忙しいままだったら梼原にも行ってないし、職人と仕事する醍醐味も知らないままだったという。

そのときに隈さんが出逢ったのが、オランダ人の和紙職人ロギールさん。

この人がまたすっごく素敵な人で。

Washi Studio かみこや

オランダで和紙に出逢い、ちょっと見たらもうそのままその世界に入ってしまったのだという。

その後来日し、全国を見て回ったが、和紙の原点は高知しかないと感じたそうだ。

隈さんが、ロギールさんを尊敬しているのは、自分が出した問い以上の答えを出してくれるからなんだとか。

和紙は基本的にはコウゾを原料にするけれど、ロギールさんは、その中にクヌギの木や栗の木などいろんな木の皮をすき込んでいる。

それが素敵だなと思って、梼原ではじめて手がけた「雲の上のホテル」の1室1室に、ロギールさんのオリジナル作品を飾ることにしたらしい。

 

隈さんは「梼原は学び舎」と語り、学生を連れてくることもあるそうだ。

都会で考えていたときと、ゆすはらで仕事をはじめてからで自分自身が変わったから、梼原の当たり前が自分を変えてくれたと思うから、だそうだ。

お世話になった民宿で、囲炉裏を囲んで、女将さんと学生たちと語らうらしい。
そういうのっていいなー。

 

里山で自然と向き合って暮らしている、これは和紙の原点なのだという。

和紙を作ってきたりとか、木を切って家を建てて生活してきたとか。

「9割の森」と「1割しかない平らなところ」という比率が生み出した、すごく力強くて優しいものがこの谷の周りにはある、それが魅力だと語られていてすごく素敵だった。

 

高知県の森林率は84%(全国1位)だが、なんと梼原町はそれを上回る91%を誇るらしい。

森が街の9割以上を占める梼原では、自然との共存は当たり前だが、都会に暮らし、都会を主戦場としてきたからこそ、隈さんには自然と生きる尊さが身に染みたのだという。

 

町内の図書館「雲の上の図書館」もすごく美しかった。

梼原らしく森の中で本を読んでいるみたいな図書館をめざしたのだという。

もちろんデザインの美しさや、隈研吾という名前を知ってきてくれるのも嬉しいけれど、そういうのをなしにして、居心地の良さを理由として子どもたちが通ってくれることが、やりがいだとも話していた。

最近、こういうコンセプチュアルな図書館が増えていて、個人的にはすごい嬉しい。

他にも梼原には美しい建物がいくつかあるので、気になる方はこちらからぜひ。

梼原町×隈研吾建築物

 

そして、梼原とのすべてのはじまりであり、30年間の建築人生のはじまりになった芝居小屋「ゆすはら座」。

保存の運動に協力してくれと言われて来ることになったが、実際に訪れてみたら、すごく懐かしい気がして、そしてすごくかっこいいと思ったそうだ。

バブルの時代は古い建築を壊した時代だったから、こういう建築が残ってるだけですごいと思ったらしい。

その頃、木造にとりわけ興味があるわけではなかったけど、自分が生まれ育った家と同じような質感だと思ったそうだ。

そして、この小屋と出逢ったのち、隈さんは世界的な建築家となる。

自然と共に生きるー日本の木造の知恵「小径木文化」

隈さんは、日本の木造の特徴は、太くない木をうまく使ってつくった「小径木文化」なのだという。

大きな木を切ってしまうのではなく、ある種うまく騙し騙しして、小さな木材から強く長持ちするものをつくる、それが日本の木造の知恵だったのだ。

中国や韓国の木の使い方は、森林を一気に無くしてしまう。

けれど、日本が森林率がこれだけ高くいられるのは、小径木文化をずっと守ってきたからなんだそう。

間伐材は華奢だけれど、それをうまく使い回しながら森も大事に守り、建物も繊細な表情をするーそういううまい形の循環システムが戦前の日本にはあったのだという。

細い木材でも、昔から日本には地震はあったわけだから、それを耐えるような仕掛けってのは色々あった。

それが、コンクリートは近代の象徴、お金持ちの象徴みたいに刷り込まれてしまった。

けれど、自分にとっては、ゆすはら座のような建物の方がむしろ、本当の意味での豊かさがあるような気がしたし、90年代にはこういう風に感じる人が周りにも増えていった気がして、そこが日本の歴史の大きな転換点だったのかもしれない、と語っていた。

 

芝居小屋の保存をきっかけに時の町長からさまざまな相談を受けるようになり、そこから生まれたプロジェクトが、隈さんにとっての初めての木造建築になったのだそう。

それが、ゆすはら町営「雲の上のホテル」だ。

それまでは、都市の中で都市の人間のためだけに仕事をしていたけれど、はじめて自然というものに出逢ってその感動を形にしたいと思い、手探りで取り組んだのだという。

隈さんの話は、昔がよかった、というだけではない。

今ちょうど、ある種の材料革命がはじまったばかりだと言う。

戦後、都市をどんどん早く大きくつくろうと言って、コンクリートの方が地震にも強くて燃えないと刷り込まれてしまった。

どうしても木を使うことは、森林伐採といった環境破壊を想像してしまう。

けれど、本当は木は二酸化炭素を貯められるから地球温暖化を防げるし、間伐により森林を良い状態に保ち、洪水や地滑りを減らせるのだという。

そういうことがわかってきて、世界中で2000年の少し前から木のブームが静かにはじまっているそうだ。

隈さんが言うには、ブームがはじまると技術がついてくるそうで、今は木でも大きくて地震に強い建物や腐りにくい建物、燃えにくい木の処理など、どんどん新しい技術が世界中で生まれているらしい。

そのうえで、鉄筋コンクリートにはその良さがあるから、いろんなところで組み合わせればいいと。

先人の知恵を生かしながら、現代ならではの木造建築を追求したい、と言う姿勢が素敵だった。

時を重ねることの魅力ー経年変化を楽しむということ

木造建築で有名になった隈さんが、木材に魅せられる理由は、イメージ通りに良い色になってくれるから、なんだそう。

人間と同じように、その歳なりに良い味が出てくるのがいいらしい。

いつまでもピカピカでツルツルだっていうのが工業化社会のある意味で美学だったけれど、それはすごいストレスになっていると思う、と話されていた。

経年変化を楽しむ、という言葉がとっても印象的だった。

クルミドコーヒーの影山さんや、直島にも作品がある杉本博司さんなんかも、時間が経つことの価値を伝えていて、すごく本質的だなと思う。

影山さんの著書:ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

杉本さんの作品:ART WORKS/SITE SPECIFIC ARTS

 

隈さんが高知に来るときには、初心を忘れないようにと、カルスト台地を訪れるそうだ。

カルストの石灰岩は雨水でどんどん溶けて、また大地に還ってくる。

人間の生きる時間は、大地の循環のタイムスケールと比べると、ものすごく小さな時間を生きてるってことを思い知らせてくれる。

大きな自然に逆らわず、その流れのなかに飲み込まれていく、ということを梼原で学んだそうだ。

 

隈さんが、建築家をめざすきっかけが64年の東京オリンピックだというから、50年以上の時を経て、国立競技場の設計に関わるのは不思議な縁でもあり、ある意味集大成でもあるという。

ちなみに、そこで使われている木の寸法はすべて10.5センチという幅になっていて、それは日本で一番たくさん流通している、見慣れた懐かしい寸法なのだという。

これらの小径木は日本全国の木材を集めていて、さらに、経年変化をして美しくなるように最初から微妙に色をつけているのだという。

年月が経てば立つほど、その年に見る国立競技場の顔が変わってくる、
人それぞれのその時の状況とその時の国立競技場の姿が頭の中に記憶されていくといいな、と嬉しそうに語る姿がとても印象的だった。

隈さんの建築スタイルはまだまだ進化し続けているそうで、ここでも経年するほど魅了を増すという事例が生まれている。

 

隈さんにとって高知(梼原)とは?と言う最後の質問には、「物差しみたいな場所」と答えられていた。

今の自分の木造建築はすべて梼原からはじまった。

だから、色んなところで大きな建築に関わるときにも梼原という物差しを忘れないようにしたい。

自分がズレていないかを忘れないように、という物差しとしてこれからも訪れます、ということだった。

どれだけ有名になっても自分の原点を忘れないって、当たり前だけど誰もができることではない。

たった30分だったけれど、すごく隈さんの人間性が垣間見えて、また旅先で隈建築を訪れるのが楽しみになった。

 

私の物差しはどこにあるのだろう?

仕事という意味だと出雲な気もするし、価値観が広がった原点だとしたらイギリスな気もする。

でも、ある意味自分にとっての物差しを忘れないために、このブログを書いてるのかもしれないなーとも思う。

 

雲の上のホテル、名前は知っていたけれど行ったことなかったので、改築後にはぜひ訪れたい。

3年以内には新しい建物ができるそうなので、その頃には新しい旅のカタチが生まれていたらいいなと思う。